写真は私が訪れた中で一番遠いであろう、パラオのペリリュー島にある「ペリリュー神社」です。
この裏の山にある洞窟の中に、中川州男大佐が自決された場所があります。
先の大戦で、ペリリュー島は激戦地でした。
その理由は、ペリリュー島は小さな島にも関わらず、滑走路があるからです。
数年前に現在の上皇陛下がペリリュー島を訪問された際にも、その滑走路を使用されました。
私が訪れた時には、普通の道路のように使用されておりました。
ペリリュー島に行くには、コロール島から約40分ほど船に揺られていきます。
高齢者が骨折するほどの揺れで、水しぶきも多くかかるのでバスタオルを渡されたくらいでした。
船頭さんによっては、2時間くらいかかる事もあるそうです。
コロール島は中心地となる島なのですが、パラオに行く場合はバベルダオブ島にあるロマン・トメトゥチェル国際空港に降り立つことになります。
そこからコロール島へ移動し、ペリリュー島に向けて船に乗る形です。
ちなみに、パラオ共和国のコロール島とバベルダオブ島を結ぶ全長413メートル (m) のコンクリート製の橋、コロール・バベルダオブ橋 (英語: Koror-Babeldaob Bridge)、通称KB橋 (英語: K-B Bridge)は日本・パラオ友好の橋と呼ばれております。
ここには、1977年に韓国の企業により架橋されたていたのですが、1996年に落橋。
橋はコロール島からパラオ国際空港(後にロマン・トメトゥチェル国際空港に改名)へと向かう唯一の道路であり、またバベルダオブ島からコロールへ供給されていた、電気・水道・電話のライフラインが通っていたため、首都機能が麻痺し、クニオ・ナカムラ大統領は国家非常事態宣言を発令しました。
「暗黒の9月事件 (Black September)」とも呼ばれております。
日本国政府も飲料水の緊急輸送や仮設橋(ポンツーンと呼ばれるプレートをつないで作る浮き橋)の設置などの支援を行いました。
2002年1月、日本の政府開発援助 (ODA) によって再建されたエクストラドーズド橋。
通称「日本パラオ友好橋」。
パラオ政府が財政的な理由から自国の資金による建設を断念したため、1997年に日本の無償援助による橋の再建を決定し鹿島建設によって再建されました。
パラオには戦争の爪痕がたくさん残されております。
倒れたまま残っている鉄塔、不時着したゼロ戦、1t爆弾の痕が残る日本軍司令部、約1000人の日本兵が命を落としたと言われる千人洞窟、ペリリュー島で日本軍を指揮していた中川州男大佐自決の洞窟…
私が訪れた際には、まだ日本語を話せる方もいらっしゃいました。
日本統治時代を生きた方は日本語を話せますが、もう生き残られてる方は僅かとなりました。
元々大の親日国ではありますが、残念ながら反日の魔の手は伸びております。
プロパガンダのために建てられた嘘を記す石碑もありました。
そして近年、多くのチャイナマネーが流れてると聞きます。
日本人を狙った犯罪もあったと伺っております。
私たちはどうしていかなければならないのか、考えていかなければならないですね。