歴史

靖国神社の創建と政治問題に発展した経緯について

靖國神社は、明治2年(1869)6月29日、明治天皇の思し召しによって建てられた招魂社がはじまりです。

明治7年(1874)1月27日、明治天皇が初めて招魂社に御親拝の折にお詠みになられた「我國の為をつくせる人々の名もむさし野にとむる玉かき」の御製からも知ることができるように、国家のために尊い命を捧げられた人々の御霊みたまを慰め、その事績を永く後世に伝えることを目的に創建された神社です。

創建当時、日本は近代的統一国家として大きく生まれ変わろうとする歴史的大変革(明治維新)の過程にありました。

それ以前、日本は徳川幕府の政権下にあり、約250年にわたって鎖国政策をとり海外との交流を厳しく制限していました。

ところが、アメリカや西欧諸国のアジア進出に伴って日本に対する開国要求が強まると、開国派と鎖国派の対立が激化し、日本の国内は大きな混乱に陥ります。

そうした危機的状況を乗り切る力を失った徳川幕府は、ついに政権を天皇に返上し、日本は新たに天皇を中心とする近代的な国づくりに向けて歩み出すこととなったのです。

しかし、そうした大変革は、一方において国内に避けることのできない不幸な戦い(戊辰戦争)を生み、近代国家建設のために尽力した多くの同士の尊い命が失われる結果となりました。

そこで明治天皇は明治2年6月、国家のために一命を捧げられたこれらの人々の名を後世に伝え、その御霊を慰めるために「招魂社」を創建されたました。

この招魂社が今日の靖國神社の前身で、明治12年(1879)6月4日には社号が「靖國神社」と改められ別格官幣社に列せられました。

明治天皇が命名された「靖國」という社号は、「国を靖(安)んずる」という意味で、靖國神社には「祖国を平安にする」「平和な国家を建設する」という願いが込められています。

しかし、近代では靖國神社が政治利用されてます。

戊辰戦争から第二次世界大戦までの戦没者が祀られておりますが、このような戦没者追悼施設は、アメリカのアーリントン墓地、フランスの無名戦士の墓(凱旋門)、ドイツのノイエ・ヴァッヘ、中国の人民英雄記念碑(天安門広場)など各地にあります。

「靖国で会おう!」が死地へ向かった兵士たちの合言葉でした。

戦争で親族や友人を亡くした国民が、靖国に参拝することは、ごく自然な感情だったと言えます。

昭和天皇、歴代首相の靖国参拝も年中行事であり、中曽根元総理もボルネオ島で犠牲となった戦友たちを追悼するため、靖国参拝を欠かしませんでした。

政治問題に発展したのは、東京裁判で刑死した「A級戦犯」が1978年に「昭和殉難者」として合祀されてからです。

先の大戦をめぐる歴史認識、東京裁判の合法性、政教分離をめぐる議論が巻き起こり、天皇の親拝は中止になりました。

それでも、三木武夫元総理、福田赳夫元総理、大平正芳元総理、鈴木善幸元総理、中曽根康弘元総理は靖国参拝を続け、当時は何も問題にされませんでした。

ところが1985年の終戦の日、当時の中曽根首相の靖国参拝に朝日新聞が批判キャンペーンを開始し、これに呼応する形で中国政府が「A級戦犯を祭る靖国神社への首相参拝に反対」と言い出しました。

当時は、日中関係が順風満帆だったので、中曽根首相は驚いてしまいます。

そして、次のように話した記録が残っています。

「私が靖国神社参拝をやめたのは、決定的要因としてあえて記すなら、胡耀邦が私の靖国参拝で弾劾辞職させられる危険を感じたこともあげられます。稲山(新日本製鉄の稲山嘉寛)さんが帰国する前日、朝六時頃、谷牧党初期、万里副首相がすごく緊張した深刻な様相で訪ねてきて、『一般戦没者の慰霊は良いことだが、靖国神社には中国を侵略した戦犯が祀られている。胡耀邦総書記も私たちも困った立場に立たされるから、ぜひとも中止されるように中曽根さんに伝えて欲しい。』と言ったというのです。
保守派が巻き返しに出ている。おそらく胡耀邦がその標的だろう。もし彼が失脚すれば、世界と日本に甚大な損害だ。私はそう考えて靖国参拝をやめることにしたのです。」
(自省録)

しかし、胡耀邦政権は結局2年後に崩壊。
1989年に心臓発作で急死した胡耀邦の死を悼み、民主化を要求する学生が天安門広場を埋め尽くし、人民解放軍がこれに発砲して多くの死傷者を出します。
この天安門事件により中国は国際的に孤立し、日中関係も暗転しました。

その後、江沢民政権が反日教育を開始。
長期的に見ると、この中曽根元総理の靖国参拝取りやめが、中国の国内問題に「靖国」を利用される端緒を作ったのです。

首相による参拝の問題はありますが、私たち一般国民には何もお咎めはありませんので、日本を守ってくれた戦没者を悼み、手を合わせる習慣を続けていきましょう。

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あめみ
6歳児と1歳児を育てながら、企業のWebマーケティングをお手伝いしてます。主にSEO対策をした社会課題に関する記事をライティング、オウンドメディアの運営などを行ってます。簡単なホームページやランディングページのデザインや広告運用のお手伝いもしております。子育て前にベンチャー企業で取締役CFOで8年間頑張ってきた経験を活かして活動中です。