歴史

広島に原爆が落とされた理由|なぜ日本は選ばれたのか?

はじめに|なぜ今「広島に原爆が落とされた理由」を考えるのか

1945年8月6日、世界史上初となる原子爆弾が日本の広島に投下されました。数日後には長崎にも。同年8月15日、日本はポツダム宣言を受諾し、第二次世界大戦は終結しました。

しかし、「なぜ日本だったのか?」「なぜ広島だったのか?」という問いは、今なお私たちの中に残り続けています。

本記事では、「広島に原爆が落とされた理由」について、歴史的背景や昭和天皇の決断、そして現代に生きる私たちが考えるべき視点を、できるだけわかりやすくお伝えします。


昭和天皇の御決断と「原爆開発中止」の真実

日本でも原爆が開発されていた?

一部の記録では、昭和20年(1945年)初頭の段階で、日本も独自に原子爆弾の開発を進めていたとされます。その報告を受けた昭和天皇は、ただちに深い懸念を示されました。

「もし敵がこの兵器を使ったら、日本はどう対応すべきか?」と御下問され、当時の参謀総長が「米国はドイツの技術を取り込み、使用の可能性がある」と答えると、昭和天皇はこう仰ったといいます。

「そのような事態となった時、国民にどう謝ればよいのか。祖先にどう申し開きをすればよいのか。」

そして次の一言が、歴史を動かしました。

「この新型爆弾の開発は、即刻中止せよ。使用も認められぬ。」

このご聖断は、勝利よりも人間の尊厳と未来を重視する判断でした。現代の我々が持つべき「文明のあり方」を問い直すものであり、日本人として誇りにすべき瞬間だと言えるでしょう。


原爆投下は「戦争」ではなく「虐殺」だった

戦争と犯罪の境界線

一般的に、日本の終戦は8月15日とされています。しかし、本当の意味で「戦争が終わった」のは、8月6日だったのではないかという考え方もあります。

なぜなら、この日を境に「戦争」が「虐殺」へと変わったからです。

国際法では、戦争とはあくまでも正規軍同士の戦闘を指し、民間人への無差別攻撃は明確に違法とされています。にもかかわらず、原爆は都市部に投下され、子どもや妊婦、高齢者といった一般市民を中心に、数十万人の命が一瞬で奪われました。

トルーマンの言い訳と現実

当時のアメリカ大統領ハリー・S・トルーマンは「軍事施設への攻撃だった」と発言しました。しかし、広島市内には軍需工場はあったものの、爆心地となったのは市街地。つまり「市民を狙った攻撃」であったことは否定できません。

これはもはや「戦争」ではなく、「大量虐殺」に他なりません。


なぜ日本が原爆の実験対象にされたのか?

2種類の爆弾、広島と長崎

広島にはウラン型原爆「リトルボーイ」、長崎にはプルトニウム型「ファットマン」が使用されました。アメリカのロスアラモス研究所は後に、「2種類の爆弾を人間の都市に対して実験することに成功した」と発表しています。

つまり、これは「戦争の終結」ではなく、「実験」だったというわけです。

日本が選ばれた“消極的理由”

なぜこの“実験”の対象が日本だったのか?

理由は単純で、「日本はもう報復する力を持っていなかったから」です。海も空もアメリカに制圧され、本土から反撃する術を持たない日本は、「実験をしても痛くもかゆくもない国」として選ばれたのです。

これは戦争の勝利ではなく、倫理の敗北です。日本が経験したこの事実に、私たちはもっと真剣に向き合う必要があります。


日本は誇りをもって終戦を迎えた

捕虜に対する人道的対応

一方で日本は、敗戦の中でも誇りを忘れませんでした。捕虜となった敵兵にも人道的処遇を施し、国際法を尊重する行動をとっていたとする記録もあります。

そして昭和天皇は終戦の詔勅の中で、日本の立場だけでなく、「人類の未来と文明の存続」についても言及されました。

そのお言葉は、まさに「未来に生きる人類全体」に向けられたものであり、「平和とは何か」を深く問いかけるものでした。


「戦争の反対」は「平和」ではない

戦争と無差別殺戮の違い

私たちは「戦争の反対語=平和」と考えがちですが、実はそうではありません。戦争には、ルールがあります。しかしそのルールが壊れたとき、残るのは「虐殺」です。

原爆が投下された瞬間、戦争は終わり、地獄のような殺戮が始まりました。それはもはや、正規戦でもなければ、戦略でもない。ただの大量殺人でした。

亡くなった方々の「願い」とは

広島・長崎で犠牲になられた35万人近い方々は、どんな思いで私たちを見ているでしょうか。

きっと、「復讐しろ」とは言わないでしょう。

「どうか私たちの死を無駄にしないでください。
そして、あなたたちの手で、平和で安全な未来を築いてください。」

そんな声が、今も静かに届いているように思います。


生きている私たちにできること

生きていることは「使命」

私たちは今、生きています。食べることができ、笑い、未来を語ることができます。そのこと自体が、戦争を経験された方々から受け継いだ「奇跡」であり、責任でもあります。

原爆の日だからといって、ただ沈んだ顔をするだけではなく、「これからの未来にどう向き合うか」を考えることが、現代に生きる私たちの使命です。

未来を築くのは今の私たち

8月6日を「悲しい日」として終えるのではなく、希望の原点とする。

それこそが、広島で亡くなられた方々への最大の慰霊であり、私たちができる最善の祈りなのではないでしょうか。


まとめ|「広島に原爆が落とされた理由」に向き合うことは未来をつくること

原爆が落とされた背景には、「軍事的必要性」よりも「実験」という側面があったことが、歴史的記録から明らかになっています。

その現実を正しく知ることは、過去を責めることではありません。私たちが、同じ過ちを繰り返さないための第一歩です。

「広島に原爆が落とされた理由」を問うことは、過去の犠牲を無駄にせず、未来をより良くするための行動でもあるのです。

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あめみ
子育てながら、Webマーケティング全般のお仕事してます。サイト構築、デザイン、SEOライティング、動画制作、SNS運用などなど。子育て前はIPO準備企業で取締役CFOやってたので事業計画の壁打ちなどもやってます。